ハコの厚みはここ次第!
■ Profile ■
稲野 巧実
『ハコの開き』の管理人。
様々なゲームに浮気しつつ、アストルティアに度々出没する駄目社会人。ルアム【XI881-625】で冒険中。エンジョイ プクリポ 愛Deライフ! 貴方の旅に光あれ!
行動してから後悔しろが信条の体育会系思考。珈琲とチョコと芋けんぴがあれば生きて行ける!
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折角DQ10が十周年になったので、その中で思い出深い事を語る会がしたいなぁって事で、いつものおかめ氏とアドライデ氏に付き合っていただきました!
それぞれ一人ずつDQ10の中で思い出深い出来事を選ぶ。出来事に縁の深い地で、その思い出を語る。という流れです。
ちなみに語ったチャットのスクリーンショットを手違いで消してしまった愚か者です。記憶を絞って書きます。許してくれ…。
トップバッターは言い出しっぺの稲野です。
私が語る思い出は、ver4のパドレ戦。場所は大魔神とも戦った砂防ダムの上です。
この時の私は、古代ウルベアのイベントが見たい為にナドラガンドを爆走してストーリーに追いつきました。ビャン君が大活躍で、もう大満足でしたよ。ビャン君の扱い、アストルティアの星で厚めですけど完全に稲野の贔屓です。ver5でも出てきて、めちゃくちゃ喜んでる。
そんなビャン君の活躍を見届ける為には、古代ウルベアイベントのフィナーレを飾るパドレ戦は避けて通れません。
このパドレ戦。むちゃくちゃ強かったです。
もう、本当に強い。勝つ為に半日以上掛かりました。
この時代では難易度選択はアップデート一月後とかでして、実装して直ぐ位では弱いなんて難易度選択はできません。なので、早くフィナーレを見たいなら公式が設定したパドレさんに勝たねばならないのです。
もう、頑張った。耐性アクセサリーを見直し、サポートで借りてるフレンドさんの職業を見直し、後出しジャンケン的立ち居振る舞いを研究し、それでも全滅する。いや本当に、どんだけ対策しても死ぬ。負ける。勝てない。
それでも、フィナーレが見たい!勝ちたい!そう、初めて強く思ったのがパドレ戦です。
なにせ、稲野は最初期の頃はプレイ時間を末弟に譲っていたのでそれほどプレイできず、ver4になって一気にストーリーに追いついてきたプレイヤーです。ver3終盤でもver2クリアしてなかったんじゃないかな?ver3の鬼強いボスの話は私は知りません。なのでボス戦は、割と苦戦していませんでした。エンドコンテンツであるレグナードに挑むなんて考えもつきませんし、コインボスもほとんど挑んでいません。戦闘は苦手な部類でした。
そんな私が一生懸命勝ちを掴みたいと思った。それがパドレ戦であった訳です。その後のキュロノス戦はパドレさんの胸を借りることができなかったら、絶対に折れていました。キュロノスは処理落ちでいつの間にか死んでる事が多かったので、ログインプレイヤーが少ない時間とかを狙ったり、演算処理を軽く設定したりとかで2日掛かりで攻略しましたからね。
がむしゃらに勝ちに行こうとする楽しみを得るキッカケとなった、思い出深い出来事でした。
次はおかめ氏です。
場所は真・グランゼドーラ、勇者の橋です。
勇者の橋は勇者姫アンルシアにとって大事な節目を迎える場所。勇者として覚醒する為に封印された過去に挑み、影武者となっていた兄トーマの死と本当の勇者である事を知り、大魔王を討伐し帰還した時に家族に迎えられ、未来の危機に挑み…上げたらキリがないくらい思い出深い場所です。おかめ氏は映像でこの橋に立つ勇者姫に、心を奪われた(意訳)とのことでのチョイスです。
言われてみれば確かになぁ!って思います。
ここ最近は勇者姫の石で直に乗り込んじゃうか、城下町入り口から旅の扉で飛んできちゃうからご無沙汰しております。橋に来る最寄りの場所がわからなくて、城下町から歩いてきた←
本当に振り返ると勇者と一緒にした冒険、本当に大冒険だと思う。
盟友になって大魔王と戦うだなんて、故郷を旅立った時には想像できなかったろう。その合間合間にこの橋があって、この橋から見る青空と城と私の勇者様を見て平和になったって実感するのとかとても良いなって思った。
(写真撮りながらフォーマルな格好持ってないなぁって思ってる。プクリポのフォーマル…どんなドレアがいいんだろう…団長?)
最後はアドライデ氏。場所はココラタのタコメット!
おかめ氏はいまいちピンと来ませんでしたが、経験値稼ぎでタコメット流行りましたね!って話題で盛り上がりました。ややバージョンが古い話ではありますが、パーティメンバーの人数で経験値が割り振られた為ソロ狩の方が経験値を稼げたりとか、色々あったんです。
私もカミハ北のピンクモーモンに誘ってもらったり、ガルゴル狩りに連れて行ってもらったものです。タコメットも狩りとして長く有名でした。一撃で倒せる一確とか、ひらめきの指輪による安定して狩り続けられる平田なんぞもありました。
少し前ならぶちスライムとか、魔界から経験値が凄いことになって狩場が移動していますね。
今では考えられぬ苦労が、昔は存在したんです。
そのネタか一日だけタコメットの狩場の聖地に魔獣イーギュアが放たれたりしたこともあったそうですけどね。それはもう凄惨な殺戮が行われ、冒険者の血で白い砂浜が赤く染まったと聞きます。
10年それぞれに思い出があって、綺麗にバラけてよかったです。
アストルティアも長い歴史が積み重なって、これから先も続くんだと思うと嬉しいですね。
お付き合いいただいたお二人とも、ありがとうございました!
コロナクラスター奇襲ですよーーーーー!!!!!
稲野のメンタルも体力も、感染対応の為にボロボロです!ここ数年内で最悪に忙しい夜勤でした。
一人夜勤とはいえ、休まず動き続けても後手に回る。発熱者がバンバン出る。カロナール出動率は、稲野の介護歴で最高です。感染対応の為にずっと予防着を着続けることもストレスですが、感染者の対応の度毎に着脱するのは手間です。病院はこの状態が数年でしょ?私だったらとっくに逃げ出してる自信あります。
とにかく、コロナに罹ってみないと軽症か最悪かはわかりませんし、体力あれば軽症である確率は高いでしょうが、軽率に38度行くし、なんなら40度行って吐くし、自分の発汗で濡れ鼠みたいな状況になりたくなかったら感染対応頑張るんだぜ!発症して蓋開けてみれば最悪症状引き当ててしまっても、病院行けるかっていうと行けないでしょうし、行けるか行けないか言ってる間に最悪まであっという間に到達する。本当に早い。やばい。
それでも、元々の勤務で連休が重なってる期間だったので、感染対応中の出勤は少なめな予想です。職場職員が軒並みやられて、出勤者が足りなかったら駆り出されるでしょうが今のところはまだ平気なので大丈夫でしょう。
自分のところは気がつくのが本当に早かった。
一番最初にいつもご飯完食する人が残すなんて、調子が悪いんじゃない?的な小さい変化で発熱感染を突き止めました。ユニット全員調べて、無症状の感染者も続々発見。その後に最初の体調不良者に本格的な発熱、咳症状が出てきたので、クラスターもかなり抑え込めたことでしょう。
半日遅かったら、感染者がどれだけ増えていたか、想像がつきません。
正直、感染者でも無症状なら隔離対応しない的な事を国は言ってますが、自分のところはクラスター発覚するまで潜伏期間とはいえ感染者で無症状でしたからね。もし国の言う通り、隔離対応が緩和されたら、感染したくない非感染者が感染予防を徹底しなくてはならないでしょう。マスク、手洗い、消毒、とにかく徹底しないといけません。
まだまだコロナが猛威を振るっていますが、皆様、健康にお気をつけください。
拍手に感謝!ぱちぱちっとありがとうございます!
さて、DQ10は十周年!記念に特別な景品が盛りだくさんな、記念福引が開催されています。特等はなんとマイタウン権利書でございます!
稲野はマイタウン権利書狙いで、本気で記念福引券集めてましてねぇ!
クエストクリアの報酬だったり、日課にプラスでついてたり、いろんなアストルティア内のコンテンツを介して手に入ります。なかなかに根気が必要です。正直ゲームとしての楽しみが失われるのでオススメはしない。期間限定であるべきだと思います。
そして本日、ついに千枚溜まりました!
さて、景品のラインナップを軽くお伝えします。
特等・マイタウン権利書
1等・妖精図書館の家(マジで素敵なんですよー。ハウジングには絶対向かないけど、本がいっぱいあって良い)・十周年記念品
2等・勇者姫の服・歴代パッケージの絵画(額縁で飾れる家具の一つです)など
3等・ボスの像(シドーさんとか歴代コインボスが対象になります。かなりある
4等・レアカラーフラワー
5等・ふくびきけん
6等・記念品のかけら(一定の個数が集まると3等以上の景品と交換できます
7等・記念ふくびき券の切れ端10(50個溜まると記念福引一枚と引き替えてもらえます。金とか銀のエンゼルみたいだな
ちなみに1から4等はその当選品と交換できる程度の記念品のかけらの選択肢もあります。レアカラーフラワーに関してだけは、花と交換できないので花かかけらの二択になります。
結果ですが、特等は当たりませんでした。
はぁー。まぁ、わかっちゃいました。アストルティアでは大英雄だろうプレイヤーですが、稲野はただの凡俗ですからねー。持ってないわー。お前は身銭叩いて買うのがお似合いだよ!、特等なんか当たるわけねーだろ!って言われている気がします。しょんぼりしょんぼり。
まぁまぁ、戦果ですよ。
記念福引の切れ端も交換して最終的に記念福引を使い切ったところですね。
特等・0回
1等・5回(うち一回はかけらに交換)
2等・10回
3等・4回
4等・66回
それ以下は書くとなんだか悲しくなっちゃうんで除外。
4等は全て花に交換しています。
ただ、最終的に記念品のかけらは1000個行き、全ての記念品を手に入れることができました!記念福引千枚あれば、一通り手に入る…んじゃないかなぁ…!
ちょうどエビルプリーストさんがコインボスとして実装されまして、冒険者便利ツールというアプリで100連福引がプレゼントされまして、さらに便利ツールの福引の景品はアストルティアのラインナップとことなりまして特等でマイタウン権利書が存在するので特等当たったラッキーマンのおこぼれがアストルティアに流れてきておりましてマイタウン権利書がかなり安くなってるので権利書買いました!!!!!
スクリーンショット見た方は、便利ツールにつぎ込めば権利書手に入るんじゃないかってくらい福引券貯めてるって思われると思います。しかし、稲野はゲームはゲーム内で完結させたい人。というか、職業柄スマートフォンに常にチェックしたり気にしちゃうような魅力を持たせると、人間の命とか預かってる職業なので利用者や患者がおざなりになっちゃう気がするんですよね。パソコン向かってるだけの仕事の人なら、常にチェックしてもいいんでしょうけど、私の仕事はそうはいかないからなぁ。
ただね、便利通り越しちゃってるんで、必須ツールって名前にした方がいいんじゃないかなって思います。便利すぎてアストルティア内でのコンテンツの意味がなくなってるのもあって、ちょっと恨みがましくも思ってます。
そのうち、マイタウン制作レポとかするぜ!
…その前に旧自宅になる予定の家レポしたいなぁ。
拍手に感謝!ぱちぱちっとありがとうございます!
アストルティアの星は稲野のサイトで現在唯一の、100話超えコンテンツとなりました。確認したらナドラガンド編も30話に迫る勢いなんだけれど、ちょっと自分でも何言ってるかわからない。え?そんなに書いたっけ?
とにかく、稲野は話をだらだら書くのがあまり好きではなく、他所様では100話超え大河もゴロゴロとあったDQ3ですら20話強くらいで締めてしまう端折り勢である。その作風は群像劇っぽく一人称の視点がばんばん変わることにより多角的に物語を描きこむこと…………なんじゃないかなぁ?
アストルティアの星は十年書いてきたとは思えないくらい、あっという間な執筆です。
今ではそうでもないですが、当時は買い切りのゲームの二次創作ばかり手がけていたので、雑誌で言えば連載中のようなDQ10は初めての試みになりました。5つの種族のキャラクター性も各種族の肉体の持ち主に寄せた設定ではありますが、それなりにオリジナルを盛り込んでいます。そのオリジナル性が吉と出るか凶と出るかは賭けではありました。
ガートランドで出てくるマリーンさんは偽物で、本物は別にいて良い人という賭けに出てver5で実際にいい人でした!はガッツポーズを決めた記憶があります。
ver1のネルゲル戦も、ver2の大魔王の魅力も、きちんと描き切った感があります。いい感じでアストルティアを書いて満足感ある十年であります。近年はやや振り回され気味ではありますが、自分で制御できない経験は良い体験なので、それもヨシ!って感じです。
オンラインゲームは、サービスが終了したら何もかもが消えてしまうものです。今までプレイした積み重ねもそうですが、折角のストーリーやその世界がプレイ動画でしか見れなくなる。それは悲しすぎて、遺すという意味で、サービス開始の年の年末に執筆を始めた気がします。昔ながらの最初から最後までという執筆形態は、DQ10においては稀なくらいでしょう。スポット執筆の多いDQ10創作畑の民は賢明です。
今ではオフラインも販売になって嬉しい限りですが、やはりキャラの真後ろに立つのと俯瞰してパーティを見るのとでは全く違います。私の中でのアストルティアはキャラとしてその世界で冒険しているのです。
小説を執筆していると、ほんとうにずるいなって思うのはゲームのシステムと物語のバランス。この問題に真正面からぶつかったのがDQ7公式小説書いた土門氏なのですが、私はやはりシステムすっ飛ばして物語に重きを置いてしまいます。最近はエンドコンテンツにも少しずつ参加しているので、システムにも踏み込んだ執筆をしたいものです。
そしていつも吸いに行っているアストルティアの空気。あれが表現できるようになるといいなって思います。たぶん、表現として文章もないし、なんだか作品の雰囲気みたいなもので構築するんだろう。全体の読後感とか、読んでる間のワクワク感で表現していくんだろうな。うわ。考えただけでヤバみが酷い。できるのか?
稲野の執筆している歴代DQキャラも参戦し、稲野の二次創作の集大成感が増しています。
次の十年。どんな話を書いているのか自分でも楽しみで、それをもたらしてくれる素晴らしいゲームに出会えたことは幸運だったと思います。
そして、アストルティアの星を読んでくださっている方々、ありがとうございます!(拍手比率がアストルティアの星連載中上がるんで、多分読んでる人がいる)
重ね重ねありがとうございます!
DQ10十周年!めでたい!!!!!!
最初の頃は10年を目標にやりたいと掲げただろうver5を達成し、次の十年を見据えてver6が始動した事、制作に関わる全てのスタッフの皆様に感謝します!DQとしては素晴らしい密度のストーリーと、スキルやイベントによる試行錯誤や挑戦が、今後のドラクエの大きな発展に寄与しているに違いありません。オンラインゆえの身軽さや新しさは、ナンバリングタイトルに相応しいものでしょう。
折角の十周年なので、私の忘備録も兼ねて振り返りをしたいと思います。
実は稲野、リリーススタート勢ではなかったのです。
やはりオンラインの壁は厚い。尻込みします。そんな中で、毎年恒例末弟のポケモン映画鑑賞の帰りに、私はSuicaを落としてしまったことに気が付きます。あぁ、Suica。2000円くらい入ってた。しょんぼりの極みです。
そんな中、末弟が言いました。
「そんなしょんぼりするんなら、DQ10でも買えば良いじゃん」
DQ10やりたいやりたい言ってましたので、それを覚えていたのでしょう。背を押されて一念発起。wiiにネットを繋げてソフトを買ってと奮起すること、リリースひと月後、私、稲野のアストルティアライフが始まったのです。
しかし、稲野はwii時代にアストルティアにほとんど出向けていません。
wiiは末弟のDQ10専用機でした。
実はDQ10に末弟の方がのめり込んでいたのです。末弟はかなりオンラインに向いた性格をしておりまして、かなりの人数を要する巨大チームのリーダーしたりしていました。
そんな中、アストルティアにはプレイヤーインベトの芽が出始めていました。そう『集会』です。私のフレンドさんの中にも集会をされる方が現れ、末弟もやってみたいと言い出します。
まぁ、普通は止めます。
主な原因は年齢です。しかも手探り状態のプレイヤーイベント黎明期。お散歩集会などが一定の周期で開催されるようになりイベントの流れが、主催参加者両方がつかみかけていた時代。今のようにプレイヤーイベントに対する公式の援助もなく、冒険者の広場の日記の告知で知って参加する。とてもではないが、やりたいといってやるには難しい状況でした。
だが、末弟がやりたいってんならやろうじゃないかと、稲野も参戦です。短期目標はイベントの成功、長期目標は末弟が一人でイベントの一通りを出来るようになる。です。稲野はすでに後輩指導もするベテランだったので、育成にかけてはそこそこに経験あったのも良かった。
末弟と共に先輩プレイヤーイベントの日記を読み漁り、イベント告知の雛形を一緒に書き、イベントに必要なものを仕入れ、初めてアズラン地方で行ったイベントはたぶん成功だったでしょう。wiiと繋いだテレビは私の部屋にあったものですから、末弟のイベントを後ろで眺めながら楽しんでいたものです。
末弟に告知内容を書かせる範囲を増やし、稲野はチェックというふうに、丸投げしないよう経験を積ませて、そのうち息をするようにプレイベをするベテランプレイヤーになってしまいました。素晴らしい。開催日という締め切りに間に合わせるよう、色々と準備をするというスキルを大人になっても持ち合わせない人はいますからね。DQ10の運営の皆様に、本当に感謝の言葉をいくら言っても足りないと思っています。
そんなベテランプレイヤーになった末弟も、いつしか有志による超大型プレイヤーイベントの運営側に回ることになりました。
さて、ここで最初の主な原因が火を噴きます。
母です。
母はオンラインゲームに関してはあまり良い感情を持っておらず、実は末弟のDQ10プレイにも難色を示していました。致し方ありません。インターネット黎明期の色々なトラブルをテレビで知っているだけだと『厄介ごとに巻き込まれる=死』ではと心配するのは凄くわかる。私が面倒を見ると言って、説得したのです。
しかし、大きなイベントの運営側に回る。その責任を負うには末弟は若すぎるのではないか、と母はいいます。
大変ごもっともです。
おそらく、その大型イベント運営側では最年少です。当時のイベント主催者全体で見ても最年少だったのではないかと思える年齢です。しかし、イベント運営統括と私のフレンドさんしか末弟の年齢は知らなかったのですが、フレンドさん曰く『皆、未成年だと気が付いてない』だそうです。
しかし、末弟の腕を見込まれてのお誘いです。
最終的に稲野も大型イベント会議に、末弟の後ろから参加して把握すること、補助が必要な場合は手助けすることで参加決定しました。(末弟の後ろから稲野が覗き込む)保護者同伴で井戸会議に参加していたの、末弟だけだろう。
後にエオルゼアに旅立った末弟より聞いたサーバー移動あれこれで、本当にDQ10が交流に特化したオンラインゲームであると痛感します。いや、本当にエオルゼアとアストルティアの技術的違いはなるほどーって感じでした。
そうして大きなイベントも数度こなして、一流プレイヤーイベント主催になった末弟でしたが、大きな転機が訪れます。
DQ10 wiiサービス終了のお知らせであります。
これを機に、私はSwitchに、末弟は自分のPCにアカウントを移すことになります。末弟の独立により、私はアストルティアでの活動時間が飛躍的に増えました。
その後、末弟はエオルゼアに旅立ち、FPSやらいろんなゲームをしています。モンハンを数日でクリアしてしまう。ゲームが上手なの、羨ましい限りです。
末弟の教育への教材となったドラゴンクエスト10オンライン。その成果は立派に社会人になった末弟という形で、我々にとって大きく良い影響を与えてくださいました。
ゲームを作ってくださった運営の皆様、末弟のイベントに参加してくださったプレイヤーの皆様、一緒に有志イベントの運営を担い末弟と共にイベントを恙なく成し遂げた主催の皆様、本当にありがとうございました。
ぼちぼちと気が向いたら、他の話題も書いていこうと思います。
拍手に感謝!ぱちぱちっとありがとうございます!投稿予約で反応遅くなって、ごめんなさい!