ハコの厚みはここ次第!
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■ Profile ■
稲野 巧実
『ハコの開き』の管理人。
様々なゲームに浮気しつつ、アストルティアに度々出没する駄目社会人。ルアム【XI881-625】で冒険中。エンジョイ プクリポ 愛Deライフ! 貴方の旅に光あれ!
行動してから後悔しろが信条の体育会系思考。珈琲とチョコと芋けんぴがあれば生きて行ける!
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今回のインディーズゲームレビュー。

『ムーンライター 店主と勇者の冒険』
無尽蔵の財と名声を与えしダンジョン。その危険性から封鎖され、衰退の一途を辿る運命にあった街があった。
ダンジョンと共にあった街『リノカ』の商人ウィルは、ダンジョンに挑み果てた友人の亡骸を見つける。
彼の残したダンジョンの秘密。ウィルは先祖代々続く店『ムーンライター』と共に、世界を巻き込む冒険に挑む。

内容はゼルダの伝説+トルネコの大冒険+DQ4トルネコの章。
様々な武器を駆使したアクション性高いダンジョン攻略。ダンジョンからアイテムを回収し、売買して得た利益を武具の性能アップや店の拡充に充てていきます。DQ4のトルネコの章よりも店番でできる事が多く、万引きをボコボコにしたり、お客さんに喜んでもらえたりとても楽しい。ダンジョンで倒れれば全てを失うなんて怖いことはなく、お金は失わないし荷物もいくつかは必ず持ち帰れます。アクション苦手な人でもゴリ押しできるレベルの武器性能で、お金を稼いで武具を鍛えればダンジョン攻略できます。なんて甘いゲームではなく、最後のボスはアクション苦手な人の最大の壁になります。強かったです。
シナリオも会話や残された言葉に導かれ、世界の謎が見えてくる秀逸さ。ただし、蓋を開けてみるともう少し伏線があった方が良かったかもしれない、予想外の展開でした。もう少し友人が切り込んだ目線が欲しかった。
音楽グラフィック共に素晴らしい。ドット絵好きはきっと好きになるし、私はドットの温かみに惚れて購入しました。
一応、クリア後にさらに難しいモードに挑めるようになったのだが、ラスボスに苦戦しすぎたのでこれで一区切りとします。

このゲームをプレイする時の唯一の注意事項。
使い込んだジョイコンでは、買い物できない場合があります。

拍手に感謝!パチパチっとありがとうございます!
返答入りませんでもコメントありがとうございます! 喜んでいただけて、嬉しかったです!

大晦日遅番、元旦夜勤入りという、非常に短い時間の年越しをエンジョイしております。みんなは元気に寝正月を楽しんでくれよ!介護職に正月なんてものはないからな!

毎年恒例の去年の振り返りと、今年の抱負を…!
去年の更新は21回。ぐふっ! 結構頑張ったと思ったんだけどなぁ!このまま更新回数が減少していくと思うと、老いを感じます。頑張りたい。


DQ10はエテーネ帰郷編までは行けると良いなぁって言ってまして、行きました。
タイミング的に魔界編が新規バージョンで開始になったので、現在小説で連載しているver2編に多大な影響をもたらしてくれています。とはいえ、マデさんがすっごい悪いやつじゃない的なスタンスは最初からあったので、大きな変更はありません。フォローもしようがない悪だったら、ピペを芸術家として出しませんからね。
むしろ魔界編での妄想が捗って捗って、ユシュカの相棒やらすのはアイツだとか、その後の展開でアストルティアから魔界に駆けつけられるやつはこいつとこいつとかもう気持ちだけでも速攻で魔界編書きたくて仕方がない欲が吹き出しました。一月くらい何も手につきませんでした。年末はゼルダBoWでオサボリしてましたが、新世界の材料高騰に乗じて2千万ゴールドくらい貯めたりしてました。
去年は巨大なスランプ的なものはなかったので、定期的に更新に漕ぎ着けられたのが嬉しいですね。グランゼドーラ編が終われば良かったところに、さらにエテーネ村到達まで行けたのは嬉しい誤算でした。現在はシナリオの見直しを行ってから、兄貴の捜索のプロットを立てていきたいです。
ちなみにアクセ理論値は残り一つの壁が厚すぎてダメです。

DQ9は、去年一話書いたんだっけ?(聞くな)
去年のクリスマスイベントにリッカちゃん来てくれるの嬉しかったけれど、半袖でとっても寒そうだった。(テンチョーの上腕二頭筋にはあえて触れない)

星のカービィは新しい話は全然浮かびませんが、ちょっと裏でこそこそしているのが星カビですので勘弁してください。
というわけで、今年は同人活動に勤しむのですが、今回は初のカービィジャンルに参戦する予定です。今回は初参加。負けられない戦いがそこにあるということで、絶対に通りかかる者を片っ端から殴るくらいの力を込めて製作しています。詳細は追ってご連絡します。原稿合宿しただけあって、すごく頑張ってます。

OPUSはジリジリと書いてます。今年こそ折り返しに行きたいなって思ってます。
むしろ、去年末にソフト版のOPUSコレクション買った時に、地球計画の最終アップデートシナリオで悲鳴上げそうになった。美しくも広大で残虐で宇宙のロマンがいっぱい詰まってるの本当好き。

絵は、えぇ、まぁ。(遠い目)
手芸が何気に依頼が来るレベルに達しまして、もしょもしょ作ってました。山姥切国広くんとか、もう少し先で話題にするだろうブツとかも手掛けています。もはやフェルトの人。立体が欲しいか…と囁けるレベルに達しているようです。

転職しました!
仕事量はホワイトな感じなんですが運動量的に少ないので太ってる!死活問題!

ゲームはそこそこです。
長年プレイしたいと思っていたMOONをプレイ。DQ好きがプレイすると精神崩壊するとまで言われる危険なゲームであったそうですが、身構えてた割には普通なゲームでした。戦わない、知恵と閃きが求められるゲームなので難しかった印象です。ジンギスカンは殺意の湧くレベルのものだった。二度とやるものか。
ロマンシングサガ3がやや詰み気味状態です。4魔貴族が難しそう。サガフロみたいなガンガンステータス上がる感じじゃないので、強くなったのが実感しにくいです。買収は結構頑張ってます。
去年最高の出会いは、夏のビルダーズですね。初代のエグくとも素晴らしいストーリー、2のビルド中毒はゲームを見る世界を変えてくれました。やはりセブンスドラゴンからではありますが、シナリオを手掛けたディレクターさんとは感性が合うっぽいです。ゼルダBoWといい、世界を見る目を変えてしまうゲームとの出会いに恵まれた自分は本当に幸せだと思います。
甲乙付け難いですが、Undertaleも去年出会っております。誰も殺さなくても良いって物語のはずなのに、母となってくれる女性を殺めて、諸事情で電源切ったところで殺した過去がなかったことにならなかったのは悪夢めいて本当に最高でした。最初から金色の花は燃やすつもりだった。ぶっ○してやるって気にさせてくれる良いゲームでした。あまりにも音楽が素晴らしすぎて、さらにアレンジ界隈が非常に賑やかな地帯で、ブームが時々来て大変なことになってます。

今年の目標ですが、
DQ10は兄貴探し編は終わらせておきたいところ。神の紅石編に踏み込めたら儲けものです。しかし、魔界編が更新されるごとに、創作どころではなくなりそうで怖いですね。
DQ9。うん。がんばる。
星のカービィが今年の主役。絶対に落とせない新刊として、全力投球で同人活動に勤しみたいと思います。
OPUSはへミスに行けたら良いなぁ。TOVと並んで、書けるタイミングがシビアなのでなんともいえないです。
絵は新スキャナーの登場で頑張れよって思う。

リングフィットアドベンチャーを買う。筋肉は裏切らない。
山形のDQコンサートに行きたい(DQ10の大きなオフ会もあるので、末弟共々行きたいと去年から狙っています)

新年早々にスマホでびゅー予定です。
いや、私の携帯はまだまだ元気なんだけれど、iモードのサービス終了やら、母親の携帯が寿命(こっちの方がカウントダウンレベルで至急対応するべき案件)なので、一緒にすまほでびゅーします。スマホにゲームを入れるつもりは全くありませんが、すまほで小説執筆ができるのかがすごく気になります。スマホもできればアラームと電話だけできれば良い子で使いたいです。
スマホといいお付き合いをしていきたいものです。

今年は同人イベントの参戦のために、その準備に時間を咲いていきたい所存です。
今年も『ハコの開き』と管理人稲野をよろしくお願いします!

『もう、勇者しない』という強烈な言葉とアンチRPGというジャンルを叩き上げたと言われるRPG。初代プレイステーションで発売された、当時、ゲーム情報に強くなかった稲野ですら知っている有名なゲームです。
これが任天堂Switchにて発売。
サウンドはステレオらしいですが、純正なベタ移植。
結構すごいです。今までプレイステーションソフトが任天堂に移植するなんて聞いたことがない。きっとライセンスやら色々あるんだろうと思ってました。DQですらリメイクであってベタ移植ではないのは、ソニーさんとの契約があったからではと勘ぐってすらいたくらいです。
発売当時はお金もそんなにないし、ゲームの腕もよくない。そんな稲野だったのでプレイする機会を逸していましたが、ついに機会に恵まれました。移植を決定してくれた関係者の皆様に感謝感謝です。

さて、グラフィックは初代プレイステーションの懐かしい趣あるもの。私はサガフロンティアとかマリオRPGとかもプレイしていた勢なので、このグラフィックはもはや懐かしいレベルです。ドットはまだ今のゲーム市場に残っていますが、このCGに参入したばかりの時代のグラフィックのゲームはそう見かけませんので歴史的な価値すらあるかもしれません。
戦いはなく、ひたすらに探索。
探索のゲームとしては、当時は珍しかったのかもしれませんね。
かなり閃きを求められます。発売当初の若き日の自分であったら、まずクリアはできないことでしょう。DQではすでに昼と夜の概念があったとしても、曜日や時間でキャラが行動するというシステムは画期的です。今ではゼルダの伝説ブレスオブワイルドのようなオープンワールドでは当たり前の概念ではありますが、これは初代プレイステーションのゲームですからね。容量の問題からもすごく挑戦的な仕様であったことでしょう。

世界の住人たちの悩みを解決したり感動を共にすることで得られるラブと、勇者が殺した動物を復活させることで得られるラブを集めていくことが目的になります。
この勇者が殺した動物を救うことが、アンチRPGの由縁。この頃にはDQを筆頭とした数多くのRPGに存在した『経験値を稼ぐために多くの魔物を倒す』ことを疑問視したテーマであります。『経験値を稼ぐ』という大義名分を否定し、勇者が悪者として描かれるのです。

これを理由にDQがプレイできなくなったという人もいたそうです。
私もこれを危惧しましたが、結果は問題なかったです。
というのも、DQは魔物を『殺した』ではなく『やっつけた』だからです。これは堀井先生が語ることが度々あるのですが、『やっつけた』という表現に敢えてしただそうです。私もmoonを始めた直後は『殺した』という単語にどきりとしたものです。殺したという一文字が、こんなに心臓に悪いものだと思いませんでした。そういう意味では『やっつけた』『倒した』というぼやかした表現で戦闘を終わらせた堀井先生の先見の明は素晴らしいものです。
また、DQのメインは、戦闘、ではないのですよね。ストーリー。物語をプレイヤーに体験させることが優先されるので、戦闘は魅力的なメインコンテンツにはなり得ないわけです。今ではハイエンドコンテンツとして戦闘に力を入れているDQではありますが、結局のところはストーリーなわけです。

私が思うに、moonが表現したいアンチRPGとは『正義である勇者が、実は悪だった』ではなく、『ロールプレイングゲームで与えられるべきロール・役割が曖昧で、自分で役割を見つけ出さなくてはならない』という点にあると思います。
これが顕著に現れるのが、エンディング。
『ゲームをやめて、もう寝なさい』そう母親が言う一言にあります。ゲームをやめる。やめてもいい。つまりゲームにある役割とはそれほど重要なことではなく、母にとっては我が子が寝ることで維持される役割の方が重要視される。そりゃあそうです。ゲームしてても腹は膨れぬ。現実を生きるためには、我が子が自立するならば社会に役割を得なくてはならない。そう母親が考えるのは当然です。
(しかもゲームのイベント全達成したパーフェクトの状態でも、エンディングは変わらない。ゲーム内の頑張りは評価されないという、えぐい現実付き)
『自分の役割は自分で見つけろ』そんなこと言うゲームがありますかね。
まるで映画を見るように他人の役割を体験するRPG、自分自身が主人公という役割となるRPG。RPGにはロールという役割は必ず必要で、それはプレイするゲームから与えられるものなのです。テーマで『自分を探す/見つける』のはあれど、与えられたロールの外に出ることはありません。ゲームだからそれでいい。だからゲームなのです。
でも、moonはゲームだからそれでいい、では終わらない。それがエンディングで描かれるのです。

スタッフロール後に放置してると『ラブは見つかりましたか?』みたいな一言が出るそうですが、私はちょっと見れなかった。残念。
ラブ。いろんな形をしていて様々で、十人十色で、これという形のないもの。自分が不条理に感じるものでさえ、誰かのラブであると言うこと。世界中にラブが散らばっていること。それを感じ取れれば、きっと良いんじゃないかなって思います。
それを感じ取ってもらうための、住人一人一人が異なって、一人ひとりに曜日や時間ごとに行動が違う。彼らはゲームの中の役割を果たすだけの存在であるにしろ、現実世界になるべく近づけて、NPCから脱却したmoonの中にいるただ一人のキャラクターであると訴えたかったのかもしれません。

まぁ、全ては私の想像でしかないです。私はまだ製作者側のコメントを読んでいませんからね。
でも、moonは異色であり評価されるべきゲームだと思います。プレイできてよかったです。

さて、大辞典でもネタバレ解禁になった頃合いですし、DQ10キャラクターファイル最新作ジェニャの未来について語ります。
このキャラクターファイルもやってくれたんだよーー(頭抱え)
シナリオ的には何ら問題ない。大変素晴らしい。いいストーリーです。
でもね、設定が納得いかない。もう、どーすんのこれって頭抱えるレベルです。個人的にはパクレ警部の事件簿よりひどい。今回の内容は愚痴。自分の実力が足りないことへの愚痴もあると思います。


このジェニャの未来では、クロノ・トリガーと同じことが起きているのです。当時はなんだかんだ思うこともなかったのに、このジェニャの未来をプレイしたことで頭を抱えるようになったのは、細かいことがきになるんですよ的な右京さん気質でも身についちゃったんでしょうかねぇ。

クロノトリガーは、クロノ達が荒廃した未来を救うため、その元凶となるラヴォスを倒す物語です。みんな知ってるよね!有名だもんね!
物語をクリアすれば、未来は救われ、ロボと恋人だろう子がリーネの鐘の前で出会う既視感満載のエンディングを見ることができます。この時点で、もう、変。だって、クロノ達が見てきて冒険した未来はラヴォスが滅ぼした未来です。クロノ達がラヴォスを倒すことで滅びの未来が回避されますが、そうなるとクロノ達が滅んだ未来に行くことができないという矛盾が生まれる。もしくは滅びなかった未来を見て、クロノ達はラヴォスを打倒を掲げることはなくなり、滅びの未来が再び確定するのか?
クロノ達がラヴォスを倒した瞬間に、二つの可能性が生まれてパラレルワールドが誕生する。これが、のちのクロノクロスにつながっていくのですが、それは別の機会に。
パラレルワールドが存在しても、クロノ達が滅んだ未来に行けなければラヴォスを倒すことは不可能なので、クロノ達はラヴォスに敗北するのが運命でなくてはなりません。まぁ、そこはゲームですのでロマン。本当に素晴らしいゲームだし。


ジェニャの未来では黄金のパラディンが、命の恩人を救うために未来から過去にやってきます。
黄金のパラディンは、命の恩人が死ぬ定めを回避するのが目的です。もうその時点で無理です。だって、黄金のパラディンの時の流れでは命の恩人の死は確定しているのです。命の恩人を助けることができたとしても、後日に歴史の修正力で死ぬ。黄金のパラディンが過去へ行くという原因因子が消滅することはないのです。
主人公の兄弟姉妹がタイムスリップしても故郷が救えないのは、主人公が故郷が滅んだという事実の時系列に生きているからです。だから命の恩人が死んでしまった時系列の黄金のパラディンが、命の恩人を救うことは不可能なわけです。
パラレルワールドも考えましたが、黄金のパラディンは未来から来ているので過去を変えることができない縛りがキツすぎて難しい。
これ本当に、どうするべきなんでしょうね?って頭を抱えています。
個人的に時間の流れは一つのシリンダーに砂を落とすが如く積み上がり、入れ替え変革は不可能という設定を採用しています。過去に起きたことというのも、過去に実際起きていることを実行しているにすぎないって流れです。私は敵は海賊のタイムスリップイベントめっちゃ支持してるんです。
歴史の修正力があっても、これはなぁ…と頭を抱えざる得ません。

自宅小説の対処法はもう考えたんですけど、ぶっちゃけ、こうするしかないよなぁって対処法で辛い。

さて、巷で話題のユアストを見てきましたので、雑感を述べさせていただきます。
これは、稲野個人の感想でありますことを、ご了承ください。ネタバレを多分に含みます。

最初にSFCDQ5の映像が流れるんです。私はこの段階でとっても冷めた感情を抱いてしまいました。なんというか、扱い方が雑。最後の最後に私が自分の貯めたお金で購入した思い出が具現化したSFCDQ5のカートリッジが出てくるんですが、それを含めた当時からのプレイヤーへのファンサービスとしては雑としか言いようがない。全部見終わって今思うと、その画像はいらない。パパスとその息子は母を探して世界中を旅していました。だけでスタートしてよかった。
もし、SFC版の映像を使うなら、そのドットの世界が映画のハイクオリティなCGにせり上がってくるくらいの演出であって欲しかった。そうすればドットの世界が今はこれだけ進化した的な表現になれただろう。本当にこの雑な扱いぶりに怒りすら湧き、ネタバレで事前学習していた私はこの作品への期待をマイナスにまで貶めた。いや、当然このSFC版の画像が出たことで色々と感情の動くファンは多いはずだ。でも、それはファンの思い出補正だけ。知らない人には華麗なグラフィックを期待してたのになにこのドット?って嘲笑されても良い。そうされないのはDQ5が国民的なゲームだから。国民的ゲームって言っちゃうのは私としても躊躇いますが、これだけ大炎上してるんじゃあ国民的ゲームだったんだと思う。

映像の秀美さが本当に素晴らしい。ぎゅっと詰め込まれたファンタジー。ちょっとDQっぽくはないけれど、私が好きな幻想が描かれた美しさは本当に素敵だった。
サンチョがめっちゃサンチョ。鳥山先生の絵でなくても、彼だけはとってもサンチョしてた。本当にサンチョがもっとも原作を忠実に再現した。かわいい。
パパスさんの頭身が微妙に違和感を感じて、ちょっと集中できなかった。でも僕の大好きな世界一強いおとうさんしてて凄く好き。小説版の死に様がゲマの卑劣さ大炸裂も相まってもう輝く宝石だったので、それと比較するとどうにも映画パパスは鈍くなっちゃう。でも、それは小説版パパスが素晴らしすぎる話であるだけなので、映画版も十分にパパスとして素晴らしいです。
リュカ。なんかもう、リュカって顔じゃないんだけどどうしよう。アベル。マイク。ケイン。いや、なんだろう。もう少し、逞しい響きを持つ名前にするべきだった。小説版のリュカはとっても優しいという内面も勇者の父としてヨソヨソしくしてしまう不器用さもあって、リュカの優しさや弱さが適合するんですよ。ベストマッチなの。でも、彼は前向きで出来ない言いながらもやってみるかって大胆さもあって、映画の演出上しかたがないけどコミカルな動きでも無難に困難乗り越えるの。うーん。これ。結局『リュケイロム・エル・ケル・グランバニア』って名前使いたかっただけでリュカにしたんじゃね?とか思ってしまうんだけど、監督がこの名前はふと浮かんだんだよ的なことを言ってるという噂もあるしもう久美先生が浮かばれなくて本当に可哀想。辛い。
ビアンカもフローラも好き。二人ともかわいいし、二人と出会った瞬間にSFCの画像で流したくだりをCGの一枚絵をフラッシュとして差し込むだけで全然よかったと思う。
大神殿脱出はよかった。しかし、念には念をって体に肥溜め塗りたくらなくても、お前ら風呂には10年くらい入ってないから臭いし大丈夫だよって言いたかった。念を入れるなら滝から落ちる前にスカラ掛けても良いんじゃないすか?この樽によるスタイリッシュアクション大脱走劇だけでユアストを見た甲斐があった。
ヘンリー無精髭。お前らは髭剃ってられる程に優雅な奴隷生活だったのかよ。
受け止めたおっさんグッジョブと思ったらプサンさんなんか。まぁ胡散臭いかんじよりも仙人っぽい方が説明楽ですものね。
ブオーン戦。あのですね、私はDQ10プレイ済みなのでいうんですけど、ブオーン小さくって本当に末弟との感想会でマイナス100点ぶち込むレベルの残念ポイントでした。知らない人なら十分に大きいでしょうけれど、こちとらナドラガとの大怪獣大戦における最高に漢で最高にアストルティアを守る盾を張った誇り高きブオーン見てるのでね、小さくってブチ切れもんなんですよ。苔むした体は加点100万点です。苔大事。しかし、フオーンくらいのサイズ。もう本当に残念だった。戦いはアクションも速度もノリノリで、とっても引き込まれる作画でした。この戦いだけでユアストを見た甲斐があった。
グランバニア設定はなしなのは良い。だからこそ『ビアンカ・なんとか・アルカパ』ってところで「マサラタウンのサトシ」みたいな意味合いでフルネーム使ってるんだなって感じてしまう。そりゃあ久美先生怒っちゃうよね、って思った。私もグランバニアの設定がなくてもいいけど、結婚の格式ばった特別感を演出するためだけに、突然のフルネームは大草原なみに草生やしちゃうよって思いましたとも。
ねぇ。娘は?娘はどこに行ったんですかね?ねぇ?え?これはスクエニに抗議のお電話入れて良い案件ですよね?掛けちゃうよ?
息子が全然アルスって顔じゃないんですけど、どうしよう。どっちかっていうとティミーって顔で、ずっとどうしようって思ってた。天空の剣を抜く瞬間の演出はガチで心震えました。ユアスト見た甲斐があった。良い子なんです。声から滲み出る可愛らしさ純朴な精神。しかしアルスって名前じゃない顔なのでもうどうしよう。あと8周くらい映画見ないとアルスって定着できない。きっとしない。
ポワン様10のデザインめっちゃ汲んでるんですけど、なんかもう、あぁ、うん、言葉にするのが面倒くなった。
いやぁーーーーーーマスドラはキャラバンハート仕様じゃないですかカッコイーーーーー!!!やっぱ暴力で殴ってくる最強のモンスターマスタードラゴンだったあの時代が最高に輝いていた。強いなーーー!好きだゼーーーー!見た甲斐があったーーー!!
からの、ビアンカのメラゾーマ連発めっちゃ冷める。あのね、私はDQ10やってるから言うんだけど、メラとメラゾーマでは詠唱して発動するまでの時間が違うの。メラガイアーレベルになると一発撃った後に次打つまでにチャージタイムが必要なの。それなのにメラとメラゾーマの差が大して変わらないとか何事なの?そんなメラミみたいな火球をメラゾーマっていうの?ふざけないでくれる?プクリポ一飲みするレベルの火球を上からあえてのスローで落としてくる10のメラゾーマを見てきてほしい。メラみたいに安売りしないでください。あれですか?メラゾーマじゃないメラだのオマージュですか?要らないですよ。ここで娘の存在があればもう少しチャージやら詠唱時間の概念がもう少しマシになったのに。
ヘンリー三國無双から出てきたような格好で吹く。嫌いじゃない。むしろ、映画ヘンリーだから似合う。
続々と集う縁。エンディングに向かって高められていくテンション。こちらも手に汗握っていきます。
そしてあの瞬間。
流石にネタバレ自習してきて覚悟してたけど、ひぇってなりましたね。うわーーーって今まで積み重ねてきたこの映画ドラゴンクエストユアストーリの興奮と感動が全てフラットになる感じ。すごい。ここで全てをゼロにする。
からのスラリン最大の見せ場。もう自分でもびっくりするぐらい、笑いの感情が込み上げて堪えられなかった。この監督が伝えたいメッセージを、役者のシリアスが叩き潰してくれます。もう感動とか感想とかを、笑いがブルドーザーで全てなぎ倒して均して更地にしていく。もう監督が伝えたかったことは何もわからないままに映画が終わる。ギャグとしては最高のタイミングでのスラリンの見せ場だった。

結論はあの瞬間までは最高だった。
監督のメッセージは全くわからなかったので、映像作品としてはよかったかもしれないですが、映画作品としては全く意味のないものでした。だって、映画って何か伝えたいことがあるじゃないですか。それを主軸にストーリー作るじゃないですか。それが全く伝わらない。もう笑いがあの瞬間から後のことを全てなぎ払った後で、ぺったんこの地面から芽吹くメッセージはありません。ある意味すごい映画でした。映像を見に行くのならオススメするけれど、映画を見に行くならオススメしない。そんな映画でした。

最後に結婚のワルツも流さないとか、電話突撃案件ですよね?

なんかまだ色々言いたいことがあった気がしますけれど、結局、DQ5の映画だから私は文句を言ってるんだろうなって思った。なんという残念。

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