ハコの厚みはここ次第!
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稲野 巧実
『ハコの開き』の管理人。
様々なゲームに浮気しつつ、アストルティアに度々出没する駄目社会人。ルアム【XI881-625】で冒険中。エンジョイ プクリポ 愛Deライフ! 貴方の旅に光あれ!
行動してから後悔しろが信条の体育会系思考。珈琲とチョコと芋けんぴがあれば生きて行ける!
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先日、友人に会って『また、介護の仕事をするの?』と聞かれました。
私は当然のように『合ってるから、するよ』と言いました。
きついきたないきゅうりょうやすいを総ナメにする介護現場ですけれど、3Kの根拠となっているのが『誰でもできる仕事』って認識だからです。先月辞めた職場が特にその認識が強かった。介護とは、食事介助と、排泄介助だけしていれば良い。そんな認識だった。私がそう認識するのは、介護に介護の決定権がなかったからです。

私が介護を始めたばかりの頃、最初の職場は病院で最初の介護主任はこう言った。
『医者や看護師は人の命を守るのが仕事。介護は人の生活を守るのが仕事である』と。恰幅が良くサバサバして怖い印象すら抱かせる、叩き上げのベテランであった主任の言葉は自信と誇りに満ちていた。この言葉を私は後輩に時々話しているが、かつての主任のように言えている自信はない。悲しいもんです。

介護の決定権は人の生活を守ること。その人が座っているとき、お尻が痛いと訴えがあればクッションを敷く。寝てる時に褥瘡ができないようポジショニングを研究する。そういった決定権を辞めた現場は介護ではなく看護が握っていました。
特に介護としての本領を発揮するのは、その人の体調の変化の一早い察知です。生活を守る。だからこそ、生活の上で支障が出たこと、顔色の変化、体に触れることで感じる熱感にいち早く気がつくことができます。この報告を上げることで、看護が動き看護と介護が連携して対処していくのです。報告はした。対処はしない。介護は生活を守るので、利用者が苦しむ姿を見て再度訴える。それでも看護は動かず悪化させたなんて事もあった。
今思えば、苦しい現場でした。介護職は、その施設が求める古い認識で介護ができなかったのです。
大変利用者にも働いている人々にも申し訳ないだろうけれど、その現場は今後も変わることはないでしょう。私は辞めました。辞めて、介護が好きだし、介護がやりたいなぁと思って再就職を介護に求めることになるでしょう。

今は保育士さんの苦しい気持ちを吐露するアカウントをフォローしています。
大変だと思う。どこも大変だ。人手不足で、人材不足。経験者を求める声は止むことはありません。
人を育てることに力を割ける施設が、今、この日本にどれだけあるのだろうと思います。介護はもう、誰でもできる仕事ではないと私は思っています。人を指導し、育てる立場にいたからこそ、強くそう思う。人は育たず、バトンは渡せず、きっと、将来は淘汰されて減っていくやもしれません。それは、介護に止まらないかもしれませんね。

友人はこうも言いました。『介護って給料安い割に、求められるもの多すぎだよね』
人の生活を守るお仕事ですからね。生活。なんて、ゆるっとふわっとした括りの中にあるものが求められるのだから、そりゃあ多くもなるのでしょう。誰一人、同じ人などいないのです。

生活を守るだなんて、主婦でもできる。専業主婦は無給でできる簡単なお仕事。
そんな認識を改める言葉が少しずつ出てきています。
きっと、介護も、少しずつ変わっていけるのかもしれない。そんな希望くらい夢見て良いと思ってます。たとえ、自分が死ぬ頃には草木一本生えない荒野であったとしてもね。

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