ハコの厚みはここ次第!
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■ Profile ■
稲野 巧実
『ハコの開き』の管理人。
様々なゲームに浮気しつつ、アストルティアに度々出没する駄目社会人。ルアム【XI881-625】で冒険中。エンジョイ プクリポ 愛Deライフ! 貴方の旅に光あれ!
行動してから後悔しろが信条の体育会系思考。珈琲とチョコと芋けんぴがあれば生きて行ける!
様々なゲームに浮気しつつ、アストルティアに度々出没する駄目社会人。ルアム【XI881-625】で冒険中。エンジョイ プクリポ 愛Deライフ! 貴方の旅に光あれ!
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DQ10十周年!めでたい!!!!!!
最初の頃は10年を目標にやりたいと掲げただろうver5を達成し、次の十年を見据えてver6が始動した事、制作に関わる全てのスタッフの皆様に感謝します!DQとしては素晴らしい密度のストーリーと、スキルやイベントによる試行錯誤や挑戦が、今後のドラクエの大きな発展に寄与しているに違いありません。オンラインゆえの身軽さや新しさは、ナンバリングタイトルに相応しいものでしょう。
折角の十周年なので、私の忘備録も兼ねて振り返りをしたいと思います。
実は稲野、リリーススタート勢ではなかったのです。
やはりオンラインの壁は厚い。尻込みします。そんな中で、毎年恒例末弟のポケモン映画鑑賞の帰りに、私はSuicaを落としてしまったことに気が付きます。あぁ、Suica。2000円くらい入ってた。しょんぼりの極みです。
そんな中、末弟が言いました。
「そんなしょんぼりするんなら、DQ10でも買えば良いじゃん」
DQ10やりたいやりたい言ってましたので、それを覚えていたのでしょう。背を押されて一念発起。wiiにネットを繋げてソフトを買ってと奮起すること、リリースひと月後、私、稲野のアストルティアライフが始まったのです。
しかし、稲野はwii時代にアストルティアにほとんど出向けていません。
wiiは末弟のDQ10専用機でした。
実はDQ10に末弟の方がのめり込んでいたのです。末弟はかなりオンラインに向いた性格をしておりまして、かなりの人数を要する巨大チームのリーダーしたりしていました。
そんな中、アストルティアにはプレイヤーインベトの芽が出始めていました。そう『集会』です。私のフレンドさんの中にも集会をされる方が現れ、末弟もやってみたいと言い出します。
まぁ、普通は止めます。
主な原因は年齢です。しかも手探り状態のプレイヤーイベント黎明期。お散歩集会などが一定の周期で開催されるようになりイベントの流れが、主催参加者両方がつかみかけていた時代。今のようにプレイヤーイベントに対する公式の援助もなく、冒険者の広場の日記の告知で知って参加する。とてもではないが、やりたいといってやるには難しい状況でした。
だが、末弟がやりたいってんならやろうじゃないかと、稲野も参戦です。短期目標はイベントの成功、長期目標は末弟が一人でイベントの一通りを出来るようになる。です。稲野はすでに後輩指導もするベテランだったので、育成にかけてはそこそこに経験あったのも良かった。
末弟と共に先輩プレイヤーイベントの日記を読み漁り、イベント告知の雛形を一緒に書き、イベントに必要なものを仕入れ、初めてアズラン地方で行ったイベントはたぶん成功だったでしょう。wiiと繋いだテレビは私の部屋にあったものですから、末弟のイベントを後ろで眺めながら楽しんでいたものです。
末弟に告知内容を書かせる範囲を増やし、稲野はチェックというふうに、丸投げしないよう経験を積ませて、そのうち息をするようにプレイベをするベテランプレイヤーになってしまいました。素晴らしい。開催日という締め切りに間に合わせるよう、色々と準備をするというスキルを大人になっても持ち合わせない人はいますからね。DQ10の運営の皆様に、本当に感謝の言葉をいくら言っても足りないと思っています。
そんなベテランプレイヤーになった末弟も、いつしか有志による超大型プレイヤーイベントの運営側に回ることになりました。
さて、ここで最初の主な原因が火を噴きます。
母です。
母はオンラインゲームに関してはあまり良い感情を持っておらず、実は末弟のDQ10プレイにも難色を示していました。致し方ありません。インターネット黎明期の色々なトラブルをテレビで知っているだけだと『厄介ごとに巻き込まれる=死』ではと心配するのは凄くわかる。私が面倒を見ると言って、説得したのです。
しかし、大きなイベントの運営側に回る。その責任を負うには末弟は若すぎるのではないか、と母はいいます。
大変ごもっともです。
おそらく、その大型イベント運営側では最年少です。当時のイベント主催者全体で見ても最年少だったのではないかと思える年齢です。しかし、イベント運営統括と私のフレンドさんしか末弟の年齢は知らなかったのですが、フレンドさん曰く『皆、未成年だと気が付いてない』だそうです。
しかし、末弟の腕を見込まれてのお誘いです。
最終的に稲野も大型イベント会議に、末弟の後ろから参加して把握すること、補助が必要な場合は手助けすることで参加決定しました。(末弟の後ろから稲野が覗き込む)保護者同伴で井戸会議に参加していたの、末弟だけだろう。
後にエオルゼアに旅立った末弟より聞いたサーバー移動あれこれで、本当にDQ10が交流に特化したオンラインゲームであると痛感します。いや、本当にエオルゼアとアストルティアの技術的違いはなるほどーって感じでした。
そうして大きなイベントも数度こなして、一流プレイヤーイベント主催になった末弟でしたが、大きな転機が訪れます。
DQ10 wiiサービス終了のお知らせであります。
これを機に、私はSwitchに、末弟は自分のPCにアカウントを移すことになります。末弟の独立により、私はアストルティアでの活動時間が飛躍的に増えました。
その後、末弟はエオルゼアに旅立ち、FPSやらいろんなゲームをしています。モンハンを数日でクリアしてしまう。ゲームが上手なの、羨ましい限りです。
末弟の教育への教材となったドラゴンクエスト10オンライン。その成果は立派に社会人になった末弟という形で、我々にとって大きく良い影響を与えてくださいました。
ゲームを作ってくださった運営の皆様、末弟のイベントに参加してくださったプレイヤーの皆様、一緒に有志イベントの運営を担い末弟と共にイベントを恙なく成し遂げた主催の皆様、本当にありがとうございました。
ぼちぼちと気が向いたら、他の話題も書いていこうと思います。
拍手に感謝!ぱちぱちっとありがとうございます!投稿予約で反応遅くなって、ごめんなさい!
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